History
of
Sweet Protection
豊かな大自然を擁する北欧の国、ノルウェーは、1989年までスケートボードが禁止されていた世界で唯一の国であった。当時の政府は、スケートボードを危険な遊びだと判断していたのだ。
しかし、行為を法律でいくら規制しようとも、カルチャーそのものを規制することはできない。スケートボードカルチャーを描いたアメリカのヒット映画「スラッシン(Thrashin')」が、トゥリシル (Trysil) というノルウェー東部の深い森に囲まれた小さな村にやってきたのは、1986年のことだった。板に四つの車輪を付けるだけで楽しめるこの遊びは、この映画を観た村の若い男の子たちにまたたく間に広まることとなった。
“With heart, talent and attitude we create the best equipment possible.”
- Ståle N. Møller
“愛情と才能と熱意によって思いつく限りの最高の製品を創ること”
スウィートプロテクションは、そんなトゥリシルの典型的な若者、のちの創業者のひとりでありデザインマネージャーである、ストーレ・N・モラー (Ståle N. Møller) が、1988年にデザイン学校で一枚の用紙に書いたこの言葉にさかのぼる。
ストーレもスケートボードに夢中になった若者のひとりであった。デザイン学校に通っていたストーレは、両親のガレージを借りて、ノルウェー産の木材を使ったスケートボードを手作りで友人達と作り始めた。彼らは、森の中に隠された高さ7メートルのスケートランプも自力で造った(ノルウェーでの禁止法が廃止され、より優れたスケートランプが街の中心に建設されるまで、そのランプは秘密裏に維持された)。
創造的で精力的な熱意によってブランドは産み出される。ストーレの最初のブランド(文字通りのガレージブランドだ)は、「ブッシュメイド・スケート(Bushmade Skates)」と名付けられ、トゥリシルの違法スケートシーンを席捲することとなった。
ノルウェーは水と森と雪の国だ。カヤック、スノーボード、スキーなども友人と楽しんでいたストーレは、スケートボードを作るだけに飽き足らず、仲間のためのスノーボード、ウェア、ギアも次々と開発していった。
1990年代半ばにもなると彼らはすでに、自分たちのエクスペディション遠征のために必要と思われるウェアやバックパックを、すべて自分たちで作るようになっていた。もちろんそれらは、ノルウェーのビッグマウンテンの過酷な自然状況に耐えられるように設計されていなければならなかったから、製品もなかなかの出来映えだった。
1997年、ノルウェーにもフリースタイルカヤックの波が訪れた。しかしその新しい遊び方には、既存のカヤックブランドはまったく使い物にならなかった。ストーレは、彼の友人でもあり世界を代表するトップ・カヤッカーのひとりでもあったエリック・マルティンセン(Erik Martinsen)のために、カヤック用のケブラー素材を開発して、カヤック界に革命を起こすこと思いついた。
当初は「SNM(Ståle Norman Møller)Playboats」という名のカヤックブランドを立ち上げる計画だった。しかし、スウィートの最初の萌芽でもあったこの計画は、ストーレがまだデザインスクールの学生であったため素材の調達がうまくいかず、立ち消えとなってしまった。
代わりに、彼は別のアイデアを思いつく。エリックが出場するフリースタイルカヤックの世界選手権に向けてカーボンファイバーヘルメットを作ることにしたのだ。当時のカヤック装備は「ソヴィエト時代の農業用品のようにシック」だったから、ストーレの革新的なアプローチと新鮮なデザインは息を呑むほどだった。誰もがそれを望んでいた。注文が殺到した。「ブッシュメイド」の頃に戻ったかのようなガレージから出る夜中の騒音で、ふたたび家族や周囲の隣人は夜に眠れなくなってしまうことになった。
代表モデルStrutterは今年で20周年を迎える
1999年、自信を得たストーレは、友人と新しい会社を設立することを決意する。アクションスポーツ愛好家のために、最新のハイテク素材による最高の製品を送り出すこと。より楽しくより自由で、かつ安全に、自然の中で遊ぶための基本的なものを作ること。その目的のために、品質と機能性に対する妥協のない要求を革新的な製品に結びつけけること。優れた機能とパフォーマンスだけでなく、独創的なデザインと新しい理念のコンセプトを創造すること。そして、そこで培われた経験をウィンターシーンへ反映させ、年間を通じたあらゆるアクティビティの道具を作るブランドとして認知されること。
スウィートプロテクション(Sweet Protection)は2000年に設立された。
創業時にいちばん最初におこなわれたことは、妥協ということを知らないもうひとりのノルウェー人、伝説的なスノーボードライダー、テリエ・ハーコンセン(Terje Håkonsen)にチームへ加わるようアプローチすることだった。テリエはプレゼンテーションを受けたプロトタイプのヘルメットが持つ可能性をすぐさま見抜き、あらゆるブランドのオファーを蹴ってスウィートのチームに加入した。世の中のコアなスノーバム達は、見たことのない美しいカーボンファイバーのヘルメットを、彼のライディング映像の中で目撃することとなった。
こうしてスウィートプロテクションは、創立してから数年のうちに、ローカルなガレージブランドからインターナショナル・シーンへ一気に移行した。2003年、スウィートはアウトドアスポーツの国際展示会ISPOへ初めて出展し、新人賞と最高賞であるISPOアワードを同時に獲得。発表されたスウィート製品はすべて、友人たちと山に冒険に出かけるためにハンドメイドで作られていた、若かりし頃の思想そのままの輝きだったのだ。
スウィートは現在も、テリエとの緊密なコラボレーションをはじめ、チームライダーとの製品開発が最も重要だと考えている。山の中で求められる機能と品質の飽くなき追求は、当初からスウィートプロテクションの中核となる価値であり、デザイン指針の原則である。
一方で、スウィートはいまだに友人同士で立ち上げたときの情熱を忘れてはいない。今日でもなお、スウィートはトゥリシルを離れていないし、友たちと共に楽しみながら成長するスタイルを忘れてはいない。
“With heart, talent and attitude we create the best equipment possible.”
“愛情と才能と熱意によって思いつく限りの最高の製品を創ること”
フィーリングとファンクションの調和、デザインとスタイルの両立。あのとき紙に書かれた手書きの言葉は、ユニークなブランドアイデンティティの核として、そのままスウィートプロテクションのブランド哲学となり、現在も引き継がれている。